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THE CONCERT 2022に出演する手話通訳者のダニー・ゴングとアンバー・ギャロウェイ・ガジェゴからのメッセージ。
ダニー・ゴングは公認手話通訳者であり、DeafJapanの創立者です。アメリカで民族的マイノリティとして、そしてろう者を親に持つCODA (Children Of Deaf Adults)として二重に疎外されて育ちました。
ダニーの両親は80年代にアメリカに移住し、アメリカ手話 (ASL)を学び直しました。「クイーンズで育ち、他の移民二世たちと似たような生い立ちではありましたが、親がろう者ということで『マイノリティの中のマイノリティ』として更なる隔たりがありました。」
ダニーは当時をこう振り返ります。「地下鉄、バス、スーパー、ショッピングモールやレストランなどの公共の場で子供や無知な大人に手話を揶揄され、私は人目のある場で手話を使うことを避けるようになりました。外出中、私は顔の表情や目立たない手話だけで両親と会話をしていました。」
やっと社会の意識に変化を感じたのは90年代に入ってからでした。
「学生が第二ヶ国語としてASLを希望していると話題になり始めました。テレビや映画でもろうの役者が登場しはじめ、職種としてのASL手話通訳者へ興味が深まっていました。」
「それにろう者もバーに行くのが好きだとも気づいたみたいですね。」と、ダニーはおどけます。
新しい世界観
ダニーが心を開いたのは大学に入ってからです。所属していた大学の通訳訓練プログラムを通じてより大きなろうコミュニティと知り合い、ろうとASLの重要さについて公の場で話す機会を得ました。
「大学で初めて、ろうやCODA当事者の教員や、たくさんのレベルの高い手話通訳者に出会いました。彼らは私たち学生にASLそして英語通訳について教えてくれました。」
このコミュニティとつながったことで、初めて彼と彼の家族は孤立していないと初めて気づいたそうです。
手話で音楽にアクセスを
ろう者で手話通訳者のアンバー・ギャロウェイ・ガジェゴもろうコミュニティへの見方を変えようとするひとりです。手話通訳を学んだアンバーは、コンサートや音楽フェスティバルなどでのASL手話通訳を専門としています。
アンバーの通訳を見たことがあれば、彼女のパワフルな表現も覚えているでしょう。シカゴの音楽フェスティバル「ロラパルーザ2013」での彼女が通訳をする動画でSNSで拡散され、ろう者をはじめ、様々なニーズを必要とする人がフェスティバルに参加しているのだと考えるきっかけを社会に与えました。
彼女がこれまで通訳を担当したアーティストは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやスヌープ・ドッグを含む400組以上。その表現豊かな通訳は歌詞のみならず、細かい楽器の音色まで表します。
「まずアーティスト自身を研究し、彼らの言葉の選び方や伝えたいメッセージを捉えます。そして何度も何度も楽曲を聴き込んで、彼らの制作の癖を覚えます。楽器の音色や組み合わせも、それぞれの役割を噛み砕きつつ、楽曲に合わせた表現方法を考えます。」
この緻密な通訳は見過ごされることはありません。「The Week」は彼女の通訳スタイルを「言語であると同時に詩であり、パフォーマンスである」と評価しています。
「今、ろう者や難聴コミュニティは社会に対して求めなければなりません。それが実現するかどうかは、消費者である私たち全員にのしかかっています。コンサートでマイクや司会者を手配するように、当たり前に音楽通訳もショーの一部だとすれば、ろう者のコミュニティを丸ごと受け入れることになります。たったそれだけで、聴者中心の社会でろう者も存在価値があるのだと、私たちが人間としての尊厳を取り戻すことができるのです。」
使うか、失うか
手話は豊かで、多様で奥深く、かつ必要不可欠なものですが、一部の人は手話が失われてしまうのでは、と危惧します。昨年、わたしたちのインタビューでは、日本手話エンターテイナーの那須映里が技術の進歩、予算削減、そしてろう学校の閉鎖がもたらす影響を予測し、警鐘を鳴らしました。
しかし、ダニーはその心配には及ばないと語ります。「多くのろう者、難聴者、そして聴者が手話を使います。手話を応用する場面は多様にあり、距離的に遠い相手や、窓越しの相手、うるさい現場や水中などで実際に使用されています。誰もが手話を学ぶメリットが大いにあると思っています。境界を越えたオープンなコミュニケーションを促し、世界中とつながり、友情を育むツールとなるのです。」