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映画『コーダ あいのうた』特別先行試写とトークイベントで手話通訳をしてくださった武井誠さんへのインタビュー。前編では、ご自身もコーダである武井さんの生い立ちを教えていただきました。後編では、多様な人が楽しむためのエンタメのあり方や手話通訳のあり方、当事者の視点から感じた映画の感想を深堀りしていきます。
エンタメに適した手話通訳がある
Q: 手話通訳者となったのはなぜですか?
僕、大学4年の11月までまったく就活をしていなかったんです。聞こえない友人が楽しめる学祭ライブをつくることに心血を注ぎすぎちゃって。でも、「就活忘れてた、どうしよう」と思っていたときに、学祭ライブを観てくれた方が「きみおもしろいね、手話の仕事やってみない?」と、ドラマの手話指導の仕事に声をかけてくれたんです。
同じ時期に、友人が紹介してくれたのが、アコムが定期的に行っているバリアフリーコンサート「“みる”コンサート物語」の手話通訳の仕事です。ある程度生活の基盤が見えてきたので、企業に就職するのではなく、手話通訳で食べていくことを決心しました。学祭ライブを通してコーダの役割を意識したことも半分あるけど、もう半分は成り行きですね。
「Coda あいのうた」特別先行試写とトークで手話通訳をする武井さん。 撮影・冨田了平
Q: 手話通訳者のなかでも、黒子に徹する方と、ご自身の個性を出す方がいらっしゃるように見えます。
人それぞれ得意不得意あると思いますが、基本的にはみなさんTPOに合わせると思いますよ。ニュースを伝える手話で個性を出したら気が散ってしまうでしょう(笑)。一方で、派手できらびやかなエンタメを観るときに手話通訳者が地味だと、現実に引き戻されてしまう。ただ、これまであまり後者は意識されていませんでした。最近になってエンタメに特化した手話通訳の派遣サービスが出てきたりして、少しずつ変わっているところですね。
僕はどちらかというとエンタメ通訳が得意で、憑依型とでも言いましょうか、失礼にならない程度に通訳する相手の真似を取り入れるようにしています。
Q: 手話通訳のついたエンタメを見慣れてくると、「推し手話通訳」ができるかもしれませんね。
アメリカだと歌番組に当たり前に手話通訳が入ったりするから、そういう状況は生まれやすいでしょうね。ちなみに、エミネムのライブで手話通訳をしているHolly Maniatty(ホリー・マニアッティ)さんはヤバいですよ。放送禁止用語バリバリ、キレッキレの手話をする方です。
Rap God : Holly Maniatty VS Eminem
手話ってどうしても「清く正しく美しく」というイメージがついてまわるけど、聞こえる人と同じようにゴリゴリのパンクやロックが好きな人はいるし、手話にも汚い表現はあります。でも、そういうエンタメには通訳の予算がつきにくい。一面的なイメージを払拭したいという気持ちはありますね。
『こころおと』のライブでは、お客さん同士が自然と手を差し伸べ合う
Q: 武井さんが主宰されているろう者・聴者・コーダ混合手話バンド『こころおと』のライブに来るのはどんな方々ですか?
聞こえない人が2〜3割、聞こえる人が6〜7割です。なぜか視覚障害者や車椅子の人も来てくれますね。ライブハウスなんて暗くて狭くて階段しかなくて、バリアフリーとは程遠いことが多いのに。僕らもそんなに気を遣ってなくて「観に来たければ来れば」というスタンスなんですが、かえってそれがいいみたいです。「障害をテーマにしたイベントだとやたらと気を遣われてお客様扱いされることが多いけど、ここにはそれがないからいい」と何人かから言われました。
『こころおと』は起点にこそ「聞こえない友人に音楽の楽しさを伝えたい」という思いがあったけど、障害の啓発や啓蒙を目的とはしていません。だから、特にルールを設けたり、フライヤーに注意書きを綴ったりもしていません。
でも、車椅子の奴が舞台を見づらそうにしていたら、お客さんが自然とそいつを前に出してくれる。モッシュのときは屈強な男たちが車椅子の周りに集まってスクラムして守り、具合悪くなる奴が出てきたらみんなで介抱する。隣の奴が楽しむためには何が必要か考えて手を差し伸べ合う空間が、自然と生まれているんです。
「こころおと」のライブ風景
Q: ルールを作らないから主体性が生まれるし、柔軟に動けるんですね。
その分、間違いも起きます。車椅子に人を乗せたまま持ち上げちゃったりする。でも、そのときは本人が「おいおい、人と車椅子は別々に運んでくれよ」と言えばいいし、間違えた奴も「そうなんだ、ごめんね」と返せばいい。障害に対する予備知識がなくても、その都度学んでいけばいいんです。
僕らのパフォーマンスもそういうスタンスで、試行錯誤しながら変わっていっています。学祭のときは聴者だけのバンドでしたが、ライブを観たろう者から「私もステージに立ちたい」と手が上がって、ろう者・聴者・コーダ混合のバンドになりました。
Q: ろう者が音楽ライブの発信者側に。
昔は、ろう者にとって音楽がご法度のようになっていた時代があったんです。一般の学校に進んだろう者が音楽祭で音の出ないハーモニカを渡されて演奏しているふりをさせられたり、下手な手話歌を披露されて拍手させられたりして音楽に嫌悪感を持つ人が増えていき、「ろう者独自の文化やアイデンティティを大事にしよう」という考えが先鋭化して「音楽に興味を持つのは聴者の文化への迎合だ」と捉える人も出てきた。
そういう状況の中で「音楽っておもしろいかも」と言ってくれるろう者が出てきて、それだけでも「文化の壁をぶち抜いてやったぜ!」とうれしかったけど、発信者側になる人が出てくるって最高ですよ。相当音楽を好きにならないと、そうはならないでしょう。もちろん時代が変わったのも大きいけど、『こころおと』もその一端を担えたのかなと思っています。
こころおと手話ライブ「ONE DAY」
Q: 時代が変わった?
テレビの歌番組で歌詞が字幕で表示されるようになって、ろう者も「自分好みのアイドルがいいこと言ってる」というところから音楽に興味を持つようになったし、酒井法子や安室奈美恵、SMAPなど振り付けに手話を取り入れるアーティストも出てきた。少しずつろう者が音楽を楽しめる下地が整ってきて、発信者側になるろう者も出てきて、「ろう者が音楽に興味を持ってもいいんだ」という意識が浸透してきたのがこの30年ほどの流れだったと思います。
いまの若いろうの子は、音楽に対する苦手意識はあまりないようですね。一流のろうダンサーも出ているし、踊るのが好きな子もたくさんいますからね。
Q: True Colors Festivalでも、多様なエンターテインメントを多様な人に届けたいと思っています。武井さんにも手話通訳で多数協力していただいていますが、期待することはありますか?
手話通訳や字幕などの鑑賞サポートがあることで聞こえない人も作品にアクセスできますし、ミュージカル『ホンク!〜みにくいアヒルの子〜』は、手話が中心ではないけれど、手話を取り入れた表現をしていておもしろいなと思いました。そういうエンタメが増えるのはうれしいですね。
「True Colors MUSICAL」では、難聴のダンサー鹿子澤拳が、視覚障害のある俳優と2人で1つの役を演じた
生活必需品ではないエンタメにはまだまだ手話通訳がつきづらい状況があります。ろう者の世界の評価と聴者の世界の評価がズレていることも結構あるのですが、マイナーであってもろう者が「これは楽しい!」と思える作品を日本財団がバックアップするような仕組みができると、当事者が楽しめるエンタメの幅が広がっていくんじゃないかなと期待しています。
コーダを真ん中に描いてくれたことがうれしかった
Q: これまでのお話の中でも出てきましたが、改めて映画『コーダ あいのうた』の感想を教えていただけますか?
この映画ではろう者の俳優やろう者のアメリカ手話監督を起用していますよね。それはいいことだけど、正直なところ「おい待て、タイトルはコーダだよな、じゃあコーダを起用しろよ! 主役は俺たちだぞ!」とも思いました。
ろう者にはろう者の世界やコミュニティがあるけど、コーダはろう者と聴者、文化の違うふたつの世界に常に股をかけていないといけない。生まれた瞬間から足に鎖をかけられて常に股裂きの刑にあっているようなものです。もちろんそれによるポジティブな面や楽しさもあるけど……。コーダのこの複雑な心境はろう者には理解しづらくて、むしろミックスルーツの人との方が共感しあえるんじゃないかと思っています。
でも、そのうえで日頃スポットライトの当たらないコーダを真ん中に描いてくれたのはうれしかったし、コーダじゃなければ見逃してしまうような細かな演出がたくさん盛り込まれていたから、観ていて本当に刺さりました。
『コーダ あいのうた』アメリカ|2021年|112分|PG-12
配給:ギャガ GAGA★© 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
Q: 例えばどんなところですか?
主人公は言いづらいことを手話で表現するとき、おなかのあたりで手を動かすんですよ。手話では、顔の表情も情報を伝える重要な要素のひとつです。だから、顔と手が同時に見えるように、通常は顔の近くで手を動かすんです。でも、恥ずかしいときやダルいとき、注目を集めたくないときは、無意識のうちに手の位置が下がっていく。あの演出はすごくわかるなと思いました。
また、咀嚼(そしゃく)音などセンシティブな問題も描いていましたね。ろう者は意図せず咀嚼音を出してしまうことがあるんです。自分では気づけないから。もちろん個人差はあって、うちの父は咀嚼音がうるさいけど、母はまったく音を出さずに食べます。なぜかというと、子どもの頃親に半殺しにされながら教わったから。少しでも音を出すと革のベルトで叩かれたそうです。
聴者の世界では咀嚼音を出すことはマナー違反ですし、音を出さずに食べられるならそれに越したことはないですよね。でも、虐待レベルの体罰に耐えてまで聴者の世界に合わせなければいけないのでしょうか。コーダとしては、「ろう者だからって開き直るなよ」という気持ちと、「多数派のルールが絶対的に正しくて、常に少数派がそれに合わせないといけないのか?」という疑問と、親がマナーのない人と見られることに対する恥ずかしさや屈辱感と……両方の文化を知っているからこそ、引き裂かれるような気持ちなんです。
本当に、あの映画はそういう絶妙にイヤ〜なところを突いてくるんですよ(笑)。何度も共感性羞恥で「うわあああああ!」と頭を抱えました。でも、だからこそリアリティがあったし、ろう者やコーダを「キレイな世界の住人」と描いていなかったのがよかったです。
Q: 当事者としてもリアリティを感じる映画なのですね。
アメリカならではの家族愛万歳的なノリは、僕にはファンタジーに見える部分もありますけどね。うちの父は昭和世代で体育会系の人間なので、気に食わないことがあるとすぐボコボコにされたし、思春期には殴り合いの喧嘩をしていました。そこにも言葉が違うもどかしさがあるんですよね。いまだに僕は父親と100%スムーズにコミュニケーションを取れる手話を身に着けていないんじゃないかとすら思います。思春期の頃は特にそれが顕著で、ぶん殴り合わないと通じなかったのかもしれません。
でも、大人になるにつれて世の中がよく見えるようになって、「よくこれだけ社会的に不利な環境で、少ない家計の中で、お金をかけて育ててくれたな」と驚きましたし、親への尊敬や感謝も芽生えてきました。だから、映画の家族愛の深さも、まったく理解できないわけではありません。
『コーダ あいのうた』アメリカ|2021年|112分|PG-12
配給:ギャガ GAGA★© 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS
Q: 『コーダ あいのうた』で初めてろう文化やコーダに触れた人に、伝えたいことはありますか?
まず、コーダという存在を知ってほしいです。あの映画は決して寓話ではなくて、主人公と同じ境遇の子が日本でも数十万人いるはずなんです。そして、そこに対する理解やサポートは充分ではありません。
僕が一番怖かったのは、映画に手話通訳者が出てこなかったことです。よく「欧米は福祉や多様性が進んでいる」と言われますよね。でも、手話通訳者の存在は影も形もなく、主人公があたりまえのようにその役割を担っていた。子どもの頃から通訳としての重圧にさらされて、自分の時間を持てなくて、将来の選択肢が狭まってしまう。そんな子どもが実際にいるかもしれないと考えてほしいんです。これはコーダだけの問題ではなく、外国にルーツを持つ子どもにも言えることです。
手話通訳者派遣制度ができて、いまのコーダは通訳の重荷からある程度解放されたとも聞きます。でも、お金や病気、揉め事などプライベートなことに関しては、手話通訳士に知られることを嫌がってコーダの子どもに通訳を頼るというろう者の親も少なくありません。「じゃあどうするべきか」と言われると簡単に答えは出ないけど……。
ろう者と知り合いになったときに、「もしかしたらコーダの子どもがいるのかも」と頭の片隅に入れてもらえるだけでいい。それだけで何かあったときの対応が変わるのではないでしょうか。
Q: 簡単に結論を出せない問題こそ、多くの人に知ってもらって一緒に考えることが必要なのでしょうね。武井さんのお話を聞いて、もう一度『コーダ あいのうた』を観に行ったら、また違った見方ができそうだと思いました。本日はありがとうございました。
コーダ当事者は映画『コーダ あいのうた』を見てどう感じたか。手話通訳士兼手話バンド『こころおと』代表・武井誠さんインタビュー(前編)
ライティング:飛田恵美子
武井誠(たけい・まこと)
1976年東京生まれ。手話通訳士。文教大学非常勤講師。両親ともろう者の家庭に生まれ、手話のネイティブサイナー「CODA(コーダ)」として育つ。手話と音楽の融合を志し、大学在学中に手話バンド『こころおと』結成。SPEEDや藤田恵美など様々なミュージシャンとの手話とのコラボレーションを行う。卒業後音楽活動の傍ら日本テレビ系『新・星の金貨』やTBS系『すずがくれた音』等のテレビドラマの手話指導、『バベル』や『ゆずり葉』などの映画協力、劇団かしの樹による『みるコンサート』公演の手話監修・通訳、企業での手話コーディネート、各地における手話教室の講師等も行っている。またTOKYO2020オリンピック・パラリンピックにて手話通訳統括として参加。