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True Colors DIALOGUE

「『私がこれまでに体験したセックスのすべて』という体験」True Colors DIALOGUE-レポート:九龍ジョー

公演の様子(撮影:冨田了平)

『私がこれまでに体験したセックスのすべて』という体験

九龍ジョー

 壇上に並んだ5人の出演者が、人生でこれまでに経験したセックスを振り返る――。『私がこれまでに体験したセックスのすべて』は、その看板に偽りなしの公演だった。
 すでに世界14ヵ国22都市で上演されている。ここ日本では2020年に予定されていた公演がコロナ禍の影響でいったん延期となり、ようやく今年3月に京都・京都芸術センターで「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021 SPRING」、翌4月には東京・スパイラルホールで「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭-」、それぞれの参加作品として上演が果たされた。私が観劇したのは、その東京公演となる。

 演出は、カナダ出身のダレン・オドネルを中心とするアート&リサーチ集団「ママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル」。観客および参加者との対話やコミュニティ形成を重視するソーシャリー・エンゲイジド・アートの文脈でも高く評価され、その作品が「社会の鍼治療(Social Acupuncture)」と称されることもあるという。
 本公演においても、「セックスの話を聞かせてくれませんか?」の呼びかけで集まった60歳以上の出演者5人と1ヵ月間にわたるワークショップを行い、それぞれ4時間ずつのインタビューを経て、脚本を作成するというプロセスがとられた。もちろん、こうして完成した脚本をもとに舞台がリニアに進行するという意味では、公演を自立した一つの演劇作品と見なすこともできるだろう。

 開演時間になり、5人の出演者と司会、スタッフらが会場前方に登場する。手話通訳なども含めるとなかなかの大所帯だ。ママリアン・ダイビング・リフレックスのメンバーも、タブレットのスクリーン越しに繋がる。
 最初になされるのは宣誓である。観客も可能な者は起立し、これから公演内で明かされる内容を公演内にとどめることを約束する。強制力はないが、このささやかなセレモニーによって、好奇を含む期待感と、空間への信頼感とが醸成されるように感じられた。

  • 出演者や通訳者、モニターに映るママリアンのメンバーに加え、制作スタッフもステージ前に集まり、一堂に手をあげて「誓い」を立てている(撮影:冨田了平)

 構成はいたってシンプルだ。司会の「よう」ことシンガーソングライターの入江陽が、1940年代から西暦を1年ずつカウントアップし、その時代の流行歌をかける。カウントされた年ごとに出演者たちは、そこで起こった自らの性やセックスにまつわる短いエピソードを語っていく。
 生い立ち、性別への気づき、性の目覚めや自慰の発見などに始まり、性衝動、セックスへの戸惑いなどがディテールとともに語られていく。快楽追求のためのセックスもあれば、合意に基づかない不本意なセックスもある。ときに性的指向も揺れ動く。

  • 舞台上から語りかける出演者。出演者の後ろには手話通訳者が立っている(撮影:冨田了平)

 障害や性のあり方など多様なバックグラウンドを持つ出演者たちのセックスは、いずれも換えのきかないユニークさを具えている。いや、観客である私たちだって皆そうだろう。しかし、この単純な事実にこそ、心が揺さぶられる。理由は巧みな導入部の仕掛にもあったと思う。
 司会によるカウントアップが「1946年」から始まると最年長の出演者が自ら誕生したことを告げる。「1947年」「1948年」とさらにカウントが続き「1949年」、先ほど誕生した出演者が、3歳のときの記憶を語る。続く「1950年」、2人目と3人目の出演者が自らの誕生を告げる。
 出演者は初めからそこに座っているのだが、それぞれが空間に乗り合わせてくるようなこの演出が、会場を一つの記憶装置へと変える。「1987年」とカウントしたあと、司会のようは、ごく自然なこととしてその年に自分が誕生したことを告げた。観客の多くも自分の誕生の瞬間――すなわち自らがこの記憶装置に乗り合わせていることを意識したはずである。
 「1970年」と世紀が変わる「2000年」の節目にはミラーボールが回り、出演者、スタッフが立ち上がってのダンスパーティーとなる。人生の酸いも甘いも知った出演者たちの踊りは、ぎこちなくも、この記憶装置を抱擁するかのようだ。

  • 手話通訳者、司会者、スタッフがディスコになったステージに上がり、出演者と共に踊っている(撮影:冨田了平)

 より直接的に観客を巻き込む仕掛けもあった。出演者の経験をトリガーに、何度か観客に質問が投げかけられるのだ。とおりいっぺんの質問ではない。例えば、こんな質問――。
「モノを使ってマスタベーションをしたことがある人はいますか?」
「まったく知らない人とセックスをしたことがある人はいますか?」
 観客が挙手をする/しないは自由である。しかし、「しない」という選択も含めてオーディエンス全体になんらかのアクションを求められることについて、気まずさや居心地の悪さを感じる観客もいただろう。
 続いて、挙手をした観客の中から、1、2名にインタビューが行われる(「答えたくない質問には答えなくてもよい」と念押しされた上で)。私が観劇した回でインタビューに答えた人たちは、この場に自分のエピソードを提供できることを喜ばしく感じているように見受けられた。実際、観客たちの回答は勇気とユーモアに溢れたもので、出演者とオーディエンスの一体感を促進するものだった。ただ、中にはインタビュー時における会場の好奇の空気に不快さを感じた観客もいたかもしれない。
 そして、この「気まずさ」「居心地の悪さ」「不快さ」といった感覚こそが、セックスのリアルな体験を扱うこの公演にとって重要なファクターなのだろう。ママリアン・ダイビング・リフレックスの「社会の鍼治療(Social Acupuncture)」の真髄を見た思いがした。それは他人の人生に踏み込むことへの畏れや、暴力性へのシグナルであるとともに、短時間であれ、そうした違和感の先に他者と深く出会うための外せないプロセスでもある。

  • 日英通訳者と舞台手話通訳者が、客席とママリアンの性についての踏み込んだやりとりを繋いでいく(撮影:冨田了平)

 西暦のカウントアップは続く。出演者たちのエピソードは、中年期に差し掛かり、色合いが変わってくる。身体の不調、別離、喪失、経済的困難。流れる曲が現代に近づくにつれ、社会状況が、観客にとっても肌身をもって感じられるものになる。平穏な道のりではないからこそ、時間が解決することの得がたさを知る。
 2020年まで辿りつき、誰もが知る世界的大ヒット曲が流れた。そこで終わりかと思いきや、昔のSF映画のような照明となり、カウントは「2046年」へと跳躍する。最年長の出演者が誕生した1946年から数えて、ちょうど100年後だ。現在から見れば、四半世後にあたるその世界で、出演者たちはそれぞれの希望の込められたエピソードを語って終幕となる。

 語られたのは5人の出演者たちのセックスのディテールだが、私は終始、自分の人生に響き合うものを感じていた。印象論ではない。そのために周到に準備され、繊細に作り込まれた、なにより勇気溢れる公演であったからだ。
 終演後のロビーには出演者たちの思い出の品などが展示されており、実際に出演者たちと交流する機会も設けられていた。私はそのまま会場を出たが、胸の内での対話とリクレクションはしばらく続いた。

  • 出演者の思い出の品を並べたアーカイブテーブルで、出演者と観客がお互いにマスクをして、1対1で話をしている(撮影:冨田了平)

九龍ジョー(クーロンジョー)
ライター、編集者。編集を手がけた書籍・雑誌・メディアなど多数。著書に『伝統芸能の革命児たち』(文藝春秋)、『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)、『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king Books/磯部涼と共著)ほか。
https://kowloonjoe.com/
https://twitter.com/wannyan

「◯◯にとっての私」と「私にとっての私」

セクシー女優/ True Colors ACADEMY LECTUREシリーズ「からだのミカタ」出演者

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True Colors Festival(トゥルーカラーズ フェスティバル)は、パフォーミングアーツを通じて、障害・性・世代・言語・国籍など、個性豊かな人たちと一緒に楽しむ芸術祭です。誰もが居心地の良い社会の実現につなげる試みです。

世界的な危機により、私たちは身近な人たちと引き離される経験をしています。でも、だからこそ人とつながること、共に楽しむことの大切さを再認識しました。

新たな環境で、アーティストと観客が、どうやって体験を共有し、共に楽しむことができるのか。みなさんと一緒に考えながら、プロジェクトを展開していきます。

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